長編ドキュメンタリー映画『蘇る玉虫厨子』時空を超えた「技」の継承


ストーリー
法隆寺の国宝「玉虫厨子」、平成に蘇る
法隆寺

 平成19年10月、奈良県生駒郡斑鳩町「法隆寺」。ここに、飛鳥時代に推古天皇がご自身の宮殿において拝んでいたとされる国宝指定の「玉虫厨子」がある。この「玉虫厨子」は、建立された当時は玉虫色に光り輝く仏具であった。しかし、1400年もの歳月は、かつての輝きと色彩を見る影もなく失わせてしまったのである。

 平成14年の春、飛騨の宮大工八野明や、輪島の塗師立野敏明、故中田金太らとともに法隆寺を訪れた棟梁中田秋夫は、ガラス越しに、この国宝の「玉虫厨子」を見た。初めて観たときの印象は「国宝としての美しさや荘巌さよりも、歳月を経たことによる造りの脆さと、輝きの弱さ」であった。「いったい、どこに玉虫が使われているのであろう?」、いくら万全の態勢で保護しようとも、「このままでは黒い塊のように崩れていってしまう」。そうなってしまう前に、現在の技術を結集して復元してみたい。職人衆の心は大きく高鳴った。

制作風景

 平成16年春「玉虫厨子復元プロジェクト」が立ち上がった。作業は中田秋夫を中心とする平成職人と、その昔の職人衆と時空を越えて「対話」しながら囁くように進められていく。資金調達から、資料調査、材木や玉虫の羽の収集から腕利きの職人の手配まで、「玉虫厨子」復元チームの苦悩と興奮、熱意と葛藤の日々が始まった。飛鳥文化の「粋」をこの平成の世に具現化する作業は困難を極めた。古来より「玉虫厨子」の装飾は謎が多い。「玉虫厨子」の正しい古文書がない。正確な図面がない。絵柄の多くが殆ど消えかけて見えない。何のために「玉虫」が使われたのか、明確な答えがない。

 我々は、「平成の玉虫厨子」完成までのドキュメントを追いながら、国宝再建に挑戦することにより、「伝統技術を後世に伝える」ことの大切さを訴え、過去と現在との職人たちの心の会話を通じ日本人としての「魂」の源流に迫りたい。